dekimasenのブログ

色々な病気を抱えて出来ないことが増えていく。そんなアラフィフのコト

かかりつけ医に転院を相談する時のストレス

いつかきっと、カツラが必要になる。

治療薬の副作用で体の毛という毛はつるっぱげに。髪もあんなに剛毛だったのに

地肌が見えるくらい量が減ってペチャンコだ。

カツラか、、、

その薬はまだ処方されている。今ってこの薬を飲むか、高額な注射や点滴をするか、

それしか治療法がないのだろう。高額な注射は私が拒否した。経済的に余裕がないので。だから、この薬を飲むしかないのだろう。

 

夫は病院を変えてみたら?というが、慢性疾患で長くかかりつけている医療機関を変えると言うことは、結構エネルギーが必要なのよ。

まず、かかりつけ医に診療情報提供書をもらう。簡単そうに見えて、面倒なのは

私たちのような田舎に住んでいると、専門医がそうそういないので、いつかまた

お世話になる日が来るかもしれない。いや、くるだろう。

なぜなら、おおきな病院の専門医に変えて暫くは診てもらえるが、安定すると

かかりつけの医者に後はよろしくと、フォローしてもらうことになるのだ。

そうすると、田舎は専門医がなかなか近くにいないので、もと、かかっていた医療機関にもどって、治療を続けるしかないわけだ。

ただ今、おかえり    と快く迎えてくれる医者と、なんか、アタリが冷たくなったんじゃねえか?みたいになる医者がいる。

めんどくさい。

 

だからといって禿げるのもいやだし、自分に合う治療法を見つけてくれる大先生に

診てもらいたい気もする

 

いろんなことを考えすぎなのかもしれない。   ですかね。

桜と食べまくりで憂さ晴らし

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長野県は雪山と桜のコラボレーションが美しいですよ

 

学校に行かない子供の相手や今後の心配事になんだか疲れた気分だったので

今日は桜を見ながら、鳥皮焼きやらクレープやら、たくさん食べてウサばらし

しました。

 

多分、私自身もも発達障害があるのではないかと思いますが、子供もそうなのかも。

変なところばかり似てしまって、というか私の育て方が悪かったのでしょう

 

多分、転校することになります

今度は少しでも生きやすい環境だといいですが。

親が子供の心配をするのは、おそらく一生続くのでしょう

 

もうしばらく落ち着かない日々です。

 

今度、うさばらしするとしたら、パーマをかけたいな     ものすごいイメチェン

してみたいわ

 

 

勘とか予感とかで勝手に悲しくなっているのなら笑えるけど

最期を覚悟したのか?

母は総合病院には行こうとしない

テコでも動かない

ふらついた母を無理やり車に押し込んで連れて行くのは、もしかしたら出来るかもしれない

でも私は、そうしないことにした

広い意味での看取り期

だとしたら、

私は悲しくて

私も逝きたいとさえ思うけど

母が硬く心に決めたことなら

無理やり大きな病院に連れて行くのは違うような気がして

ただ祈っている

どうか、どうか、母に幸運を

私は母に、前からお願いしてある

もし、逝くのなら、私を早く出来るだけ早く迎えにきてね   と

私たち母娘はどこか悲しい人生、寂しい人生を歩んできた

私が看取ってきた患者さんたちを思い出すと

母が覚悟したのが早すぎるとは思わないでもないけれど

私が同じ状態ならば

やはり、同じようにするだらろう

 

それでも母が居ない世界は悲しすぎる

また私の考えすぎのクセが出ただけならいいのだけど

 

どうかどうかご無事で

遠くから毎日祈っています

生きる意味を見失っていたけれど

こんな歳になって、年金暮らしの実家の両親に、お小遣いをもらってしまった。

体調を崩して働けないため、髪もセルフカットしている私を哀れに思ったのだろう

申し訳ない、、、いや、なさけない。でもありがとう

年金暮らしだから実家にもお金なんてたくさんあるはずがない

その中で捻出してくれたほんの気持ちのお小遣い。だからなおさら悲しいほど有難い

 

親孝行しようと思っていた。あれもこれも買ってあげたいと思っていた

まったく出来ないでいる自分が嫌になる

ごめんね     

 

でも、今自分が親になって思うことは、娘に何かを買ってもらおうなんて

これっぽっちも思わない

私の両親もきっとそんな気持ちなのだろうとおもう

両親も私も病気と闘いながら細々と暮らしている。

両親の病気のために私は役に立ちたくて看護師になったのに。それも出来なくなった今、看護師をしてきて経験した中で感じたこと習得したことを、活かすのは、両親の老後を支えるための

ほんの少しの力になること

まだなんとか動ける私の病気がこれ以上悪くならないことを祈って

せめて両親や子供が、困っている時に

助けになれるだけの余力を残してください     神さま

 

夫や子供実家の両親、、、私の生きる意味かもしれない

病気のせいにしていいのかわからないけど娘に何もしてあげられない

腰痛、関節痛、めまい、、、これらは私の病気の場合、死ぬまで付き合うのだろう

 

以前のようにガツガツと動くことが出来ない

 

娘を連れて遊びに行きたいけれど、遠くまでいく自信がないので、自宅からそれほど離れていないカフェで、せめて美味しいものを食べようと2人で行ってきた。

 

思っていた以上に娘は喜んでくれて、私も嬉しくなったわー

 

病気をすると、行動範囲も狭くなってしまう

関節リウマチなどの膠原病を持っている私は、もしかしたら進行するかもしれない

だから、今出来ることはやっておきたい

 

悔しい思いをして辞めた看護師の仕事のことは、諦めがついた

今は働いていないので金欠の問題もあるので、持てる趣味も限られる。

気持ちは落ち込むばかりだけど、娘の前では元気なフリをするわけよ。

娘には出来るだけ心配かけたくないし。

 

娘の春休みももう終わりだわ

よその子は海外へ行ったりジャニーズのライブに行ったりしたらしいけど、

うちは何もしてあげられなかったわ

ごめんねーむすめー

 

実は夫のストレスは仕事でもなんでもなく私だった

このところ体が楽です。ココロはいまいちです。

なぜ、ココロがいまいちかというと、夫には感謝の気持ちばかり持っていましたが

つい先日、夫が飲み会に行った翌日のことです

 

「大変なのは俺ばかりではないみたいだ。〇〇さんの奥さんも病気で働けないってさ。」

というので、私のカチンと来る虫が目覚めてしまい

「私への愚痴、聞いてくれる人がいて良かったね」

と、いやみを含んで言うと、

 

夫は        「うん」       と  即答。

 

もうそれ以上は返す言葉が見つからなかった

 

夫の愚痴 =  私への不満

という答えが明確になったわけです。病気をしてしまって働けないでいる私

、、、ではなく、夫にとっては、働かない嫁      なのですね

 

そう思っていたんだなあ 、と分かってから夫とあまり会話もしていません。

私の捉え方がおかしいのかしら。良い方に、私自身が幸せなように勝手に解釈する方法はないかしら。

 

私が悪いんでしょう。病気だけではなく、私そのものが悪いのでしょう。

 

そんなわけで、ココロは元気になれないのです。

 

皆さんはお元気でね。

 

 

病気で仕事も出来なくなって思うこと

病気があって思うように物事ができなくなってから、私は

死んだ方がいいような気がしていた。

私に何が出来るだろう     お金もないし

体力もないし    精神力もない

こんな私に何か出来ることはないだろうかと、考える日々を送っている

せめて朝は、娘と夫のためにお弁当を作ろうと、早く起きる。素早くは動けないので

時間がかかる。早くおきられない時もある。どうしても具合が悪くて出来ない日もある。

同居している義理の父と母のためには、せめてトイレや風呂を綺麗に保とう。

実家の父と母にはせめて、毎日メールをしたり電話をして困っていることはないか、変わった様子はないか聞いて、困っていたらこんな私でも何かの助けはできるかもしれない、、、そうでありたいと、気にかけている

 

そんなふうにほんの少しずつでいいから、家族のために身を捧げたいとおもう

自分はどうなってもいいとおもったりしたけど、せめて今の状態を保てたら、

少しだけ家族のために何か出来る。

病気が悪化しませんように。家族が幸せでありますように、、、私に出来ることは

そんなふうに祈ることぐらい。みんなに心配してもらっているのだから、死んだ方がましだ    なんて言ってはいけないのだ。